五所川原市整体院 痛みからの解放、即効改善を目指します。

帰郷してから

帰郷してから

             帰郷しても心は現役

帰郷した翌年、ジムでの練習仲間だった知人の誘いで、岩手県石鳥谷町の花火大会の余興のイベントに参加。内容は地元アマチュアバンドのコンサート、JWA(社会人プロレス)の試合、その中でのキックボクシングエキジビジョンマッチ(3分3R)でした。
 で、翌年、同じイベントでエキジビジョンて゜なく真剣勝負をする事となった。

H 4.9石鳥谷町河川敷花火大会場柳田 信雄55kg引き分け
花火大会にて

私は元プロのランカー、相手はアマチュアとの事で余裕をこいてたが、なんせ古くからさんざん練習しあった仲間、私の癖を知り尽くしている、得意技から技を出すタイミングやフェイントにいたるまで。狙い通りにいかず動きを読まれまくってた。私が得意とするスイッチヒッティングを逆に仕掛けられ、とまどったり。ここは相手の健闘に拍手。

当時ブレイクしてた、''みちのくプロレス''に参戦しようと思い立ち筋トレに励むが、体重が5kg増の65kgより増えない。最低75kgは欲しい。で、取りあえず青森県内で反則が少ない方の競技、極真空手の大会に参戦したが。
H 8.9スポカルイン黒石?(盛岡道場)65kg判定負け

初めての極真ルールでの試合。「間合いが違うので戸惑う。」との指摘があったがそのとおりだった。キックボクシングルールなら顔面を打ち合う距離での攻防、前蹴りを多用し、ミドルキックにつなげる。息はあがったが、勝ったと思ったら負けだった。ダメージは相手の方があるのに…。

キックボクシングの古い友人が栃木で新空手の道場を開いていて、その道場設立十周年記念の大会にお誘いがあった。対戦相手の地元栃木での知名度は高く、対戦希望者がいないので私に声をかけたのだった。私は当時、青森の寒さに負けて全然身体を動かしていなかった。
H 8.12栃木県立南体育館?(極真空手)65kg判定負け

極真空手の強者とはいえ、顔面パンチ有りのルールは始めてと聞いた。ならば、顔面パンチは出せば当たる、開始直後にクリーンヒットさせれば極真特有の前進ファイトはしてこないだろう。との思惑通りの展開に。内容的には引き分けだが、事前のルールミーティングで内容が引き分けなら主催者側の選手は負けにするとの事だったので負けに。

H 9.10弘前66kg判定負け

再び極真空手の大会に参戦。前回、結果は負けだけど、やれる、と判断。で、2度目の参戦。こちらのルールだと前に出ないと勝ちにつながらないようなので、前に出る。前に出ると、相手の突きの連打をもらってしまう。で、前回同様、私は息があがっただけ、ダメージは相手が多い。で、判定負け。

これより波乱。プロの''キックボクシング''復帰を目指し再び上京、トレーニングを継続して、30代半ばまでコンディションを維持していたが(この頃のトレーニングはヒンズースクワットが得意で、500〜2000回出来てた)、H 13.3、労働災害で大怪我をしてしまう(頭部挫傷・第一腰椎圧迫骨折・左大腿部複雑骨折)。2ヶ月半入院。この事故、何度想い出してもよく生きてたと思う。推定重量400〜500kgの金属が上から落ちてきて頭部を直撃したのだから。                  長年トレーニングを積んできたのにもう終わりだ。              二度と戦えない。                             でも生きている。                             あきらめたくはなかった。                         退院してから半年後、慎重にトレーニングを再開した。            <<必ずリングに立つ!!>>と決意して。

 やがてジムの先輩だった元ライト級チャンピオンの飛鳥 信也さんの推薦を受けて、学生キックボクシングのコーチに就任した。真摯に希望と目標を持って練習に取り組む若人を見てると、私の魂も共鳴してが騒ぎ出す。
 年を重ねてリングは遠ざかる。そんな折、現役時代にジムで知り合った友人と久しぶりに連絡がつき、会って話をしてみるとその彼は現在、キックボクシングのレフェリーをしてるとの事。彼は私の戦いのセンスの良さを認めてくれていて、私の戦いが観たいと言った。復帰の手がかりひとつ掴めないでいた私に光明がさした。試合までの細かいセッティングは全て彼がやってくれました。約17年振りのキックボクシングの試合。プロ公式戦ではないので若干ルールは違うが。        ※グローブは最大の16オンス、肘打ち・顔面の膝蹴り・ローキックは無し。

H 18.4オーエンジャイ(綾瀬)レッカラー・オーエンジャイ(タイ)65kg2RKO負け

 相手はタイ人、私より体重は5kg軽い60kgだが現役のプロで19才。年齢差は23才。久しぶりにが騒いだねぇこの時は。H13年3月の大怪我から見事復活。年を重ねるほどファイターになっていく私は果敢に攻めかかるが相手は現役、まともに当たらない。しかし相手の攻撃は綺麗にもらってしまう。見えてはいるがもらってしまう。2R開始、もう息が上がってしまって動けないところへ、タイ人の得意とする首相撲からの膝蹴りを多々喰らう。かなり打たれ強いほうだが、3度のダウンでKO負けとなった。膝蹴りは40〜50発位もらったかなぁ。その後一ヶ月間わき腹が痛かった。
 
 負けて悔しいのでリベンジを誓うが、彼は兵役でタイへ帰ってしまった。その後様々な理由により、リングに立つのは一年後となる。平成19年2月、青森へ帰る。3月、当整体院開業。

H 19.10オーエンジャイ明治の摩天楼69kg2RKO負け

 この対戦、私は167cm 69kg 43才でほとんど練習してないのでお腹に脂肪が…。相手は188cm 73kg 21才でシッカリ練習して締まった体をしている。リングに立つからには練習するのが大前提だが、今回は日常でのストレスがたまり過ぎて、戦いたくてどうしようもなく、参加申し入れをしたのだった。
 1R、ゴングがなる。いままででの戦いの経験で一番身長差がある。相手の攻撃を受けたりかわして中に入ろうとするが、練習不足で体がついていかない。さらに、オーエンジャイルールではローキックがないのでこのリーチ差はかなりキツイ。1Rはなんとかしのいだが、不穏な空気が充満している。2R、年齢と練習不足で動けなくなりつつある私に相手は首相撲から膝蹴りを出してくる。うまく凌いでいたのだが、フェイントからの膝蹴りを過去の古傷(TV放映の試合で傷めたあばら骨)に喰らってしまった。立ち上がりはしたがダメージがひどく、立て続けに3ダウン取られKO負けに。試合後二ヶ月間わき腹が痛かった。

                          

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