五所川原市整体院 痛みからの解放、即効改善を目指します。

経歴

経歴

        整体師になるまえはキックボクサーでした。

経歴   

 ブルース・リーの影響を受けて小学五年の頃より独学で中国拳法を学び、高校入学後は部活で寸止め空手を経験、プロのキックボクサーになる為に東京に就職しました。

 プロレス志望ではあったが、レスラーとしては体が小さい(168cm 56kg)ので、それ以外のプロ格闘技で反則の少ないキックボクシングにした。(K-1と違い、ヒジ打ち有り)

プロでの戦績(回想録)

 裸眼視力が両方で0.1で、時々大振りパンチをまともに喰らうことがあるので、デビューするまで他の人に比べ、2倍以上の期間かかった。

  • 第1戦
    場所相手体重結果
    S59.4後楽園ホール堀 大介(早川ジム)54kg2RKO勝ち
    念願のプロデビュー。当時勤めていた会社の方々が大勢来てくれました。ありがとうございましたあの節は。通常、キックボクシングのデビュー戦は手足をブンブン振り回し、先に当てたもん勝ちのケンカのようですが、すでに打撃系格闘技10年のキャリアを持つ私は冷静な出だし、ローキックは的確に決めていく。お互い警戒しすぎて、手足は出すが距離を取り過ぎて当たらない。2Rにはいっても同じ展開になった。{これじゃあ観てるお客さんもおもしろくないなぁ。少しぐらいやられてもいいから突っ込もう}と突っ込んだのが相手の左ジャブとのクロスカウンターになり、ワンパンチKOとなった。
  • 第2戦
    S60.6後楽園ホール渋谷 公敏(渡辺ジム)52kg判定負け
    蹴りは得意でした3Rのシーン
    デビュー戦から一年以上たっての試合。この頃、、キックボクシング界は低迷期で、各団体とも年に4回興行出来ればいいほうだった。怖いもの知らずの私は得意の蹴りを出しまくるが決定打にならない。右の写真が3Rのものと判ったのはパンチを出してるから。2R後のインターバルでコーチに言われました。「お前全然パンチだしてないよ一発も。出したら当たるから。」「………あっ、そうですか。」言われて始めて気がついた。3R後半にパンチを何発かもらったのが判定に差をつけた。
  • 第3戦
    S60.9後楽園ホール相馬 昌弘(活殺龍ジム)51.5kg判定勝ち
    3戦目の私に対して、相手はフライ級の選手であるが10数戦のキャリアで勝ち星は少ない。あまり攻めてこないので優勢で1Rを終わった。その興行時、試合会場へはめったにこない会長が来てて、インターバルの時にリング下から指示を受けました。「中谷くん、次いきなさい。」→倒せとの事。2回ダウンを取った後、攻めが単調になってしまい、倒すには到らず。
  • 第4戦
    S60.11後楽園ホール北 敏明(仙台青葉ジム)53.5kg引き分け
    デビュー戦時に来てくれた元の会社の人たちが何名か来てくれました。孤高の私に久々の応援、相手も仙台から黄色い声がたくさんの応援団、声援の応酬、私のパンチと相手の膝蹴りの応酬、3Rフルに戦いぬきました。膝蹴りが効いちゃって、2R後のインターバルに水を飲もうとしたら吐き出しちゃったもんなぁ。興行回数の少ない時代に年間3試合、幸せでした。
  • 第5戦
    S61.7後楽園ホール坂巻 光一(君津ジム)フライ級チャンピオン50.8kg4RKO負け
    年を越して半年、「試合したいなぁ。」と、悶々としてたところにBigなお話が…。ノンタイトルながら現役のチャンピオンとの対戦が決まりました。しかも当時打ち切り寸前だったTV(テレビ東京)が入るので内容次第で放映の可能性が、との事。決まった瞬間燃え上がりましたねぇ。ただし不安もありました。初のフライ級、減量が苦手で、普段しっかり練習して贅肉のない状態で56kgだったから。10日前で1.2kgオーバーだったのが、7日前になぜか2.0kgオーバー。落とすことは出来るが注意が必要。当時三人いたコーチの一人が熱くなっちゃって私の意にそぐわない強引な落とし方を強要した。これはもの凄いストレスだった。試合直前は気持ち悪い程調子が良かったのだか、1Rが終了し2Rが始まった途端、{…体が動かない…}、危惧してた事が起こりました。その後は人間サンドバッグ状態、で向かえた4R、スタンディングダウン(1回目)を取られた後、膝蹴りが私の左わき腹に当たった。[ポクッ]と音がしたので、さほど効いてはいなかったが、体の状態を知るため、あえてダウンした(2回目)。倒れた瞬間に肋骨をやられたのが判り、[やりやがったなこの野郎]と体が熱くなり闘志全開になった瞬間、レフェリーが試合を止めてしまってジ・エンド。
  • 第10回新空手(プロ・アマ)交流試合参戦
    S62.2足立区・東京武道館トーナメント五回55kg以下優勝
優勝メダル

結果を出さないと干されるプロの世界、試合を組んでもらえない、でも戦いたい、そんな気持ちを酌んでくれたコーチがプロキャリア5戦以下なら参加できるこの大会に誘ってくれました。初回は18才の若いファイター、私がプロと知っていながら臆せずガンガンくる。攻防の合間に左ミドルから右クロスが入りダウンを奪って判定勝ち。二回戦はプロでフライ級新人王の選手。ここで私は本来のスタイルであるサウスポーで戦う。相手の腕を殺す為、ダブルの左ミドルを放ち続け、判定勝ち。三戦目はなぜか覚えていない。四戦目は長身の選手。危ない場面もあり自分では引き分けかと思ってたが、判定勝ちだった。五戦目・決勝戦の相手は元プロの選手、さすがにうまかったが、右ストレートでダウンを奪う。相手が起き上がったので続行かと思ってたが、相手はそのまま棄権した。で、優勝。この後の大会からプロ経験者の参戦は出来なくなった。

  • 第6戦
    S62.6後楽園ホール菅原 誠司(花澤ジム)53.5kg判定負け
    試合はついたがTV放映時の5回戦から3回戦に戻されての戦い。公式戦初のサウスポーでの戦い。1R、蹴りに行ったところにストレートを合わせられ足が滑って転んでダウン。その直後はダウンが帳消しになる位反撃したがポイントにはならず。その後も有効打を打てないまま、最終ラウンドに。仕掛けたが、相手は守りに入り逃げられ判定負け。

{もう試合を組んでもらえないかな}と思った私は、会長に「一ヶ月位練習を休みます。」とつげジムを去った。

     東京を離れて暮らして約一年、悔恨の思いが強くなっていた。

[完全燃焼]するまで辞められない。東京に帰って来た私はジムへ行きたかったが、足が向かない。行ったところで試合を組んでもらえるかどうか…。そんなおりジム仲間から情報が入った。三人いたコーチ陣のうち、一人がジムを立ち上げたというのだ。そのコーチはキックボクシングの元チャンピオンではあったが指導が強引で自分の考えを押し付けるタイプ、対チャンピオン戦で強引な減量を指示、選手指導に関して不評の多い人だった。私は決断した。新興のジムなら選手が少なく試合のチャンスがあるだろう、と。

練習を再開した頃

  • 第7戦
    S63.7後楽園ホール相馬 昌弘(活殺龍ジム)52kg判定勝ち
    移籍してリングネームを本名から聖 竜(ひじり りゅう)に替え再スタート。相馬選手との再戦。前回同様、相手は攻めてこないので、こちらからガンガンいく。クリーンヒットはしてるが、相手も打たれ強くダウンにはならない。大差での判定勝ちではあったが、一度もダウンを取れなかったので自分自身かなり不本意だった。

    ※聖(ひじり)…娑婆世界で仏道修行する半僧半欲の行者

  • 第8戦
    S63.8後楽園ホール長尾 優(治政館)52kg引き分け
    復帰戦をして一ヶ月、すぐ試合。移籍して正解だったこの時は。相手は体調不良で減量しておらず、2kg多い54kg。グローブハンディをつけての試合となった。相手は前回、当時のフライ級チャンピオンとノンタイトルながら激戦をして会場をかなり盛り上げていた。その疲れが抜けてないようで、全然圧力を感じず、私は余裕をこいて練習気分で戦ってた。あっというまにラストの3R、差がついてないので倒しにいったが私も息が上がっていて、有効打が出ず引き分けに。
  • 第9戦
    H 1.7後楽園ホール少 白竜(谷山ジム)53.5kg2RKO勝ち
    ここからは所属団体も変わっての試合。相手も何年か振りの試合であったが、過去の戦績は確か22戦11勝11敗(8KO)位のハードパンチャー。即攻をかけるタイプと聞いてたが…。1R終了間際、私は相手の右ストレートを喰らいロープに吹っ飛んだ。インターバル時、我の強い元コーチ・現会長があーだこーだと言ってくるが、久しぶりの試合を楽しんでる私の耳には素通りだ。2R静まり返った会場でのさなか、左ミドルが入り、相手の気が下に行ったのを観て左ハイキック。続けて押し込むように左ストレート、ダウン。{お願い立たないで…}と祈ったが、相手は立ってきた。が、レフェリーがチェックを入れ本人の棄権でKO勝ちとなった。ホッ、(0v0)。
  • 第10戦
    H 1.9日本武道館山根 正美(習志野ジム)53.5kg判定勝ち
    前座とはいえ日本武道館、大舞台での試合。この興行時のメインイベントはロブ・カーマンドン・中矢・ニールセン。私は3回戦の最後の試合だったので{3回戦のメインイベンター}と勝手に決め込んでいた。1R慎重に相手を伺い、残り30秒でスパート、右ストレートのダブルと膝蹴りのダブルで2度のダウンを奪う。{あと一回だ}、ここで飛び膝蹴りを出すが、前蹴りでカットされた。2R・3Rは相手が盛り返しローキックを多々喰らう。3R後半はかなりやばかった。5回戦だったら逆転KO負けだったかもしれない。ただ、後楽園ホールと違い日本武道館はお客の声援・野次といった声が聞こえづらいので、試合はやりやすかった。
    この頃には、自分の型に入れようとする某指導者との軋轢はかなりのものだった。

技術・戦い方・練習方法・減量方法どれもあわなかった。こうなる事は解ってはいたが…。次の第11戦目の時も、私は体調が変なので試合を1ヶ月先にしてもらうよう頼んだのだが、聞いてもらえず、強引に試合が組まれたのだった。TV放映戦の時と同じ感覚がした。さらにこの時は、計量が終わって少々水分を取りすぎたようで、試合時間には下痢っ腹でした。

  • 第11戦
    H 1.10後楽園ホールワンチャート・シットマナテープ(タイ)52.0kg判定負け
    初の外国人・タイ人との戦い。ムエタイの選手は小さい頃からやってるだけあって技の見切りが良い。技や間合いの駆け引きには自身のあった私が翻弄されている。お腹の調子が悪いのに前蹴りを何発ももらってしまい、正直漏れそうだった←これを我慢して体力が消耗し反撃出来ず。大差の判定負けに。タイ人、上手いと思ったが強いとは思わなかった。調子がよければ勝てただろう。
TV放映の試合でフライ級までの減量には懲りてたので、ジム移籍時、「フライ級ではやりません。」と、明言していた。にもかかわらず…。

オファーが来た、「赤土選手とやりなさい。勝ったらタイトル戦にもってけるから。」ノンタイトル戦ですが、勝てば勝ったでフライ級への減量が待っている。モチベーションがあがるわけがない。「フライ級じゃやりたくないですね。」私の要望は聞いてもらえず試合になった。

  • 第12戦
    H 1.11後楽園ホール赤土 公彦(港西川ジム)フライ級チャンピオン51.2kg4RKO負け
    気の乗らない試合だったので、無駄な怪我をしないように戦った。無理しないので打撃戦にはならず、お客さんにはつまらなかったろう。インターバルでセコンドがごちゃごちゃ言ってくるが、パンチもキックも人の話も効いちゃいない。前回からの体調不良が続いており、何故か力が入らない。勝つのは無理と判断、4R、たまたまもらった膝蹴りが効いたことにした。赤土選手へ…ごめんなさい。
試合後のジムの懇談会で、私はひとり会話に入らず今までの事を振り返っていた。戦いたくてプロへ、試合したくて移籍、しかし…試合は出来るが自分のスタイルで出来ないジレンマ。

 この後2年間、明るい展望が開けず、まともに練習もせず悶々として過ごす。この頃から睡眠障害を発症。そして、見通しが立たないまま、家庭の事情で実家へ帰った。

          プロ戦績12戦5勝5敗2引き分け(2KO)

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